リラのブログ りらのやさしい100年計画

【書評】ラッセル幸福論。しんどい子育てのヒントがあったのでわかりやすく解説【退屈OK】

だんだんわかってきた人生の色々 なるべく優しい子育て 子育て

 

こんにちは、りらです。

 

ラッセルの幸福論を読んでいます。

 

そしたらある章に、現代の子育ての助けになりそうなことが書いてあったので、
シェアさせてください。

 

【ラッセル幸福論】しんどい子育てのヒントがあったのでわかりやすく解説【退屈OK】

ラッセルの幸福論てどんな本

 

めちゃくちゃ簡単紹介で失礼。

バートランド・ラッセルは(1872ー1970)は、イギリスの思想家で、
生涯にわたり平和主義活動を行なってきた、二十世紀最高の知性の一人です。

 

『幸福論』という本は、

”人々が本当の幸福を得るためには、どのように考え生きていけば良いか?”

という知恵が盛り込まれた処方箋のような本です。(って表紙に書いてあるのですけど)

 

第一部、『不幸の原因』が一章から九章、

第二部、『幸福をもたらすもの』が、十章から十七章です。

 

この本のすごいところは、90年も前に書かれているのに、
現代社会の病理に合っていることです。それでいて、様々な問題を明らかにした上で、
解決策を見出してくれています。

(長いですし言い回しもむずかしいので、一日一章をやっと読む感じですが。)

 

そして、第四章『退屈と興奮』に、自粛期間中に多くの人が抱いた悩みについて
参考になることが書いてありました。

退屈が恐い私たち現代人

 

まだまだコロナ終息には至っていないので、
セーブする意識も持ちあわせつつ、気をつけながら暮らしていますよね。

 

それにしても本当に、いまだかつてこんなに家にこもったことはなかったですよね。

 

退屈を持て余す人もいたでしょう。ヒマだと不安ですよね。
ヒマでいいのかね?ソワソワ。。。でもどうしてこんなに何かせずにはいられない、
どこかに出かけずにはいられないのか考えますと、

 

  • 人より遅れている気がする
  • 人より劣っている気がする
  • 時間を無駄にしている気がする
  • 自分には価値がないような気がする
  • 人生を楽しんでない気がする
  • つまらない人間になる気がする(非リア)

 

みたいなことがあげられるかと思います。

 

どこにも行けないとストレスたまるし、子どももどこかに連れて行きたいし、
早く出かけたい、何かしたい、おうち時間を充実させてるインスタ見てるともやもやする。。。
退屈をなんとかしたい私たち。。

 

ですが、ラッセルの幸福論に書いてあることには、
退屈から抜け出したくて興奮やら刺激を求めるのは、不幸の原因になりうるんですって。

子どもを成長させるのは単調な日々である


退屈がこわい大人が子どもを育てるとなると、やはりヒマを潰さなくてはならないと、
子育ても忙しくなっていきますよね。。(表向きは子どものためなんですけど。)

 

以前なら毎週末には必ず子どもをショッピングモールに連れて行ったり、
長期の休みには必ずテーマパーク、旅行に連れて行ったり映画に行ったり、
どこかしら出かけるのは普通のことでした。

 

し、か、し、そういうことも叶わない場合、家にいればYouTubeやゲーム、TV。。。

私たちの子育てがピンチです。

子どもはどこにも連れて行かないとかわいそうなのか?

 

子どもには、何かを与えないと本当にダメなのでしょうか??

 

その悩みに答えているのが、ラッセル幸福論の第4章、『退屈と興奮』なんですよ。

 

 多少とも単調な生活に耐える能力は、幼年時代に獲得されるべきものである。この点で、現代の親たちは大いに責任がある。彼らは子供たちに、ショーだの、美味しい食物だのと言った消極的な娯楽をたくさん与えすぎている。そして毎日毎日同じような日を持つことが子供にとってどんなに大切であるかを、真に理解していない。

 

どういうことでしょうね、毎日毎日普通でいいってこと?
どこにも連れてけなくても良いのかな?退屈でも大丈夫なの??と思いますよね。

 

そうです、退屈でいいのです。それよりもむしろ子どもには、
普通の毎日に耐える能力をつけることが必要なんです。

 

暇なんてかわいそうなんじゃ?どこかに連れて行かなくては!
と心の底でくすぶっていた想いが少し軽くなるようですね。肩の荷も少し降りるかな。

 

幼年時代の喜びは、(略)子供が多少の努力と創意工夫によって、自分の環境から引き出すようなものでなければならない。

 

もちろんこれが全てじゃなくて、特別なこともあるようですが、

小さい頃には、子どもが自分で工夫して努力して、その単調で普通な日々から、
面白いことを自分で引き出すこと

 

が大事なんですと。

 

そして、興奮するけど体を動かさない観劇
(多分この時代は観劇とかなんだろうけど、いまだとYoutubeとか映画とかゲームとかかな)

というものは、ごくたまにしか与えてはいけないのです。なぜならば、

 

 興奮しているときに肉体を少しも動かさないというのも本能に反している

 

からだそう。

でも確かに、子どもって思い立ったらすぐ動いたりしていて、
心と体が一体な感じですよね。
なので頭は興奮、体は動かず、みたいなのって不自然なのでしょう。

 

子どもが最もよく育つのは(中略)いじりまわされないで同じ土壌の中に置かれているときである

 

なるほど。

例えば、何か植物のタネを植えて、芽が出るのを待ってる間に、
毎日のように植え替えたり、水を大量にあげたり、これでもかと肥料をあげて、
あれやこれやといじくり回したりしませんよね。芽が出るためには静かな時間が必要です。

 

じっくりと根を張って、ゆっくりと芽を出す、そして木になっていくと。

 

一見その時間は静かで、退屈に見えます。

ラッセルは、私たち人間は大地の一部であると言いますが、子どもはもっと自然に近いので、
この木のようにいじらない方がよく育つと。

 

大人になって、何か大きな目標や目的ができたときにそれを形にするためには、
じっくり耐えて準備する期間がいりますよね。

 

木のように自然に育ち、退屈に耐えることができれば、
目標を達成する力を身につけられるということですね。ほほう。

 

ならばコロナでの自粛期間は子どもの成長にも一役買ってくれたのかも。

 

私たちの生は自然の一部

 

また、こんな例もありました。

 

ある日、ラッセルはロンドンで、とある二歳の男の子が初めて外に出た様子を見かけました。
その子は冬の中、ぬれた地べたにひざまづいて、顔を草にうずめ、喜びのあまり叫んでたそうです。

 

普通の人から見たら、狂気に見えるほど喜びを全身で表現していたと。

 

当然、大人の目には感動も何もない普通の光景。なんですが。

 

このように、自然とともに感じる快楽や興奮こそ子どもに必要で、
ギャンブルや麻薬のような一過性のものではなく、いつまでも健全な満足の記憶として
体に残っていくそうなんですよ。

 

大人には分からなくても子どもにとっては大切なこと

 

自然と触れ合っていることではありませんが、
自分の娘に関していうと、思い当たる節があります。

 

娘はまじでトイレットペーパーの芯と、ビニール袋と、チラシを愛しているんですよね。

 

市販のおもちゃよりも毎日飽きずに無限に遊んでいます。トイレットペーパーの芯ですよ?!
安上がり以上。

買ってきたおもちゃを隠しても気づかないんですが、
トイレットペーパーの芯を捨てようとすると猛烈に抗議してきます・・・(ちょ大丈夫かねw)

 

でも、それで遊んでいる時が一番楽しそうですし、
さっきの男の子の話がすごく娘の姿と重なりました。

 

大人の目から見ると、「一体なんでこんなものが楽しいんだろう」と正直思います。

 

多分このトイレットペーパーとかって、
娘が自分で見つけて遊びに使おうと決めたものですからね。

 

まさに、自分の身近な環境から引き出した喜びwなんですよ。(一銭もかかってない)
私たちは、
「もっと何かをしてあげなければならない」
「もっとより良いものを与えなければならない」と、

 

強迫観念のようなものを持ってしまいがちですが、
一つ落ち着いて、まずは子どもを観てから、でもいいんじゃないかと。

 

まず大人を(親)癒してから


子どものことはなんとなく分かったし、
元来、子どもの方が退屈を退屈とも思わず、なんでも使って遊べますね。

 

じゃあ問題は私たち大人です。下手したら子どもから良い退屈をうばって
悪い退屈を増やしてしまうなんてことにもなりかねないよ・・・。

 

悪い退屈っていうのは、まず、普通の退屈を埋めるために刺激を与えます。
そして、刺激が終わるとまた退屈になります、なのでもっと強い興奮や刺激を与えます。

 

それが終わるとさらに退屈が襲うのでもっと強い刺激が・・・

 

という繰り返しでもたらされた退屈のことです。
せっかく子どもがもともとある退屈を創意工夫するチャンスなのに
それを大人がうばってしまう可能性があるということです。
しかも良かれと思って与えた刺激によってです。

 

悲し、です。

そこでラッセル再び登場。

退屈は、恐れる必要がないと言います。

 

実りある退屈から逃げることで、(略)もっと悪い種類の退屈のえじきになるわけだ

 

そして、

 

幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。

 

実りある退屈っていうのは要するに多分、
静かな時間が若い木を成長させるような、派手ではないけど有益なヒマさのことであり、
本当に人生を幸せに生きたいならば、その退屈をじっくりと味わえと。

 

例えば、世界で名作と言われている本には、たいていつまらない箇所があるそうなんです。
でも最終的には素晴らしい作品としてまとまっています。

 

だからヒマでもいいんですよ私たちは。退屈は恐くなくて、退屈で良い。
でも人間なんで、たまには少しの楽しみや興奮(ギャンブルや薬ではない)
を味わいつつ生きると。

 

また巣ごもりするようなことが起こったって、その時間を味わえばいいんですよね。

 

親がその意識でいれば、子どもたちも安心して自分で楽しみとかを見つけていくんですよ
おそらくね。

 

子どもの価値観に合わせていると、たくさんのお金もきらびやかなものも、
実はそーんなに必要ないと、認められるか否かでしょうね。

私は子どもにとって価値のあるものがトイレットペーパーの芯だなんて、
なかなか認められなかったですが、ラッセルさんの一押しで、やっぱそうかあと思いました。

 

今日のまとめ

 

つまるところの今日のまとめとしては、

  • 子どもは無理に色々と連れまわさず自然にしておいて良い
  • 大人が思う価値のあるものと子どもにとって価値のあるものは違う
  • 退屈に生きていいが実りある退屈にすること

でしょうか。長くなってしまいましたが、ぜひおすすめの本です。

他にもたくさんの章がありますので、また紹介して行きたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

ではまた。

おすすめ記事:【いらない、めんどくさい】ママ友との関わりを拒否し続けた人の4年後の末路