リラのブログ りらのやさしい100年計画

【体験談】好きだったスタバの仕事を辞めたいきさつとその理由。【真理】

スタバで働きたい だんだんわかってきた人生の色々 リラについて

こんにちは。

いつもお読みいただきありがとうございます。

今日は、ものすごく好きだったスタバの仕事を辞めた理由について書いていきます。

スタバの仕事でなくても、今の仕事を辞めようか、自分のやりたいことって何だろうと思っている人などに参考になれば幸いです。

※エッセイ調です



【転職したい人へ】私がスタバの仕事を辞めた理由。良い意味で洗脳が解けたから【真理】

一度目の緊急事態宣言

コロナが始まって、2020年4月緊急事態宣言が出されました。

私が働いていたスターバックスの店舗も、当然その間は休業になりました。年中無休だった店が1ヶ月以上閉まるなど、今までにはなかったことです。

店長からはたびたび、従業員への連絡がグループチャットで流れてきました。

内容としては、従業員への労い、感染対策を促すこと、業務連絡、そして、スターバックスへの仕事への気持ちを鼓舞するようなものでした。

それは店長の仕事として当然のことで、自粛が明けたら従業員が減ってしまったりしては大変だからです。

 

  • ちなみに会社の対応は、働いていないにも関わらず、契約の通りに給料が支払われました。なので退職した今思っても、スターバックスという会社は素晴らしいと思っています。

 

スタバの店員=自分ではない

スタバのお店に行かなくて良くなり、何もない毎日が始まりました。ただ子育て、家事だけの日々です。

しばらくすると、お店のことを考える時間が減ってきました。そして、さらに日にちが経つと、だんだん違う気持ちが浮かんできました。

「あれ?私はなぜあんなにスタバのことを考え、尽くしてきたのだろうか?」と。

むしろ前までの自分の思考が信じられなくなっていきました。

ずっと大好きな仕事だと思っていたけど、実際にシフトの前日は

「明日うまくできるかな」とプレッシャーで眠れなかったり、

シフトが終わった日も、もしミスをした日だったら「なんであんなミスしたんだろう」と、

次回の勤務日まで引きずっていたのだと気づきました。でもそれが自然で普通だと思っていたのです。

でも、それが全くない日々。というか普通の日々。あれ、これが普通なのでは?ひょっとして自分は自分に幾らかの無理を強いていたのではないか?

そこで気がついたんです。お店で働いている間は、自分=スタバ店員だと無意識に思い込んでいたんです。そして、とても当たり前だけど、離れてみたら、スタバの店員=自分自身ではないことに気づいたのです。(思い出した)

それどころか、そう思い込んでいたことすら気づいていなかったのです。

以前、この記事にも書いたのですが、スターバックスの仕事ははっきりしたミッションがあるので、他の企業よりも使命感だったり、忠誠心のようなものが芽生えやすいと感じています。

でも、おそらくスタバに限らず、その組織で仕事をし、それに没頭していたら、絶対に気づくことができなかったと思います。

働いていくなかで、ひょっとしたら少しずつ違和感を覚えていたとしても、日々の仕事に追われたりすると、かき消されてしまうのだと思います。そして、それは自分でも見たくない心の部分なのだと思います。所属している組織を否定することにもなり得るからです。

 

歯科医院で働いていた時の思考停止

ふと、歯科医院で働いていた時のことを思い出しました。

その歯科医院は昼休憩が90分くらいあった。近くにコンビニ、スーパー、パン屋、モスバーガーまであったのですが、休憩時間に昼食を買いに行くスタッフは一人もいなかったのです。

入社当初は少し疑問でした。なぜここで働いている人は一日中12時間(拘束時間)もここから出ないのだろうかと。しかし、あまり深く考えずに昼休憩を過ごしていたら、いつの間にかそこになじみ、それが当たり前になっていました。

退職して離れてみて思うのが、昼に外に出たかったら普通に出ればよかったのだろうなということです。あんな近くにモスバーガーがあるなら行けばよかったとか。

何が言いたいのかというと、渦中にいるとわからなくなるということです。

自分に残ったもの


そんな感じで外での生活が全て停止した中で毎日を過ごしていると、本来自分はどうだったのか?ということが、日に日に少しずつ顔を出してくるのがわかってきました。

何もないなら何をするかな?子どもの相手はもちろんやるのだが、私=母親というわけでもないのです。
なので周りの全てを払いのけて、その上で自分は何を今やりたいのか?ということなんです。

そこでその時期に私がやったことは、コーヒー豆を手網で焙煎してみたいということでした。

何もコーヒー豆の焙煎をしてコーヒー屋をやるとか、そういう大きなことではありません。そんなことができたら良いなという気持ちも少しはありましたが、今の時点では現実的ではなかったです。

何も関係なく、ただ、今やってみたいのは焙煎だったということでした。

不安な気持ちでAmazonで手網の焙煎器と生豆を買って、来る日も来る日もコーヒー豆を焙煎しました。

焙煎前の緑色のコーヒー豆をチラシに広げて、虫食い豆や欠けた豆などを拾ってよけ、YouTubeで手網の焙煎方法を見て、一人で空いた時間に焙煎をし続けました。その当時見ていたYouTubeはもう二度と見れないと思います。辛かった日々を思い出すからです。

焙煎をしながら色々なことを考えました。

スタバは大好きだけど、働くのは自分には向いていない。だけど、コーヒーが好きだという気持ちに嘘はない。

そして、自分は本当は外向的ではなく内向的な人間であること、黙々と何かをやりたいということにも気づいたのです。

 

緊急事態が明けて

ひと月半の休業が終わり、無事にお店が再開して、スタバで働くという日常が戻りました。しかし、どうしても前のような気持ちで働くことはできませんでした。

子どもが幼稚園に入園したらシフトを増やして、さらにバリバリ頑張っていこうと思っていたのに、全く変わってしまいました。むしろシフトを減らし、フェードアウトしていくようになりました。

お店の仲間との関係は何ら変わらず、前よりも親しくなっていたのですが、仕事へのモチベーションは減る一方で、そんな気持ちで働くのも仲間に申し訳ないという思いでした。しかし下がっていくモチベーションを自分ではどうすることもできず、悩む日々でした。

そんな中、好きだった社員さんが異動してしまい、新しい社員さんが来たのですが、その人との馬が本当に合わなかったのです。しかし、その人間関係をどうにかする意志も全く起こらず戸惑いました。今までの自分からは想像できないことでした。

自慢ではないが、今まで職場の人間関係はうまくやっていけました。なぜならばノウハウを知っているから。人間関係は自分次第だと知っているからです。

でもそれには多少のエネルギーと、ちょっとした調整と時間が必要でした。スタバの仕事に意欲的だった頃は、苦手な人との関係も修復しつつ、居心地の良い場所に変えていました。なのに、今回ばかりはそのエネルギーすらありません。

うまく言えないのですが、その部分の自分のエネルギーが完全に枯渇しているような感じでした。

そんな感じで半年以上が過ぎ、年が明けて2021年の1月に、私の身にとあるショックな出来事が起こりました。

それを心で処理すること、人間関係の改善、全てを行いつつ仕事のクオリティを保つ、その時の私には到底担うことができませんでした。あらゆることが重なり、半ば勢いで退職するに至りました。

 

自分を変えるのはいつも『たまたま』

私は主婦なので、夫が仕事をしているからパートを辞めたとしても当面は大丈夫です。

だから、

「あなたは切羽詰まっていないからパートも辞めることができる。自分のやりたいことを考えたりできるのも主婦で恵まれた環境にいるからだ」

という意見もあるでしょう。そして何をかくそう自分の思考が自分にそう囁いてくるのです。

でも反論したいです。私は外で働いてはいないが、家事や子育ては一生懸命やっている自負があります。食事だって手作り中心だし、子どもが遊びでやりたいと言ったことは疲れていてもいつもやります。叱った時は罪悪感に苛まれ、もっと良いやり方はないか悩んだりしています。自分の子育てのやり方が合っているかなどわからないです。しかし、とにかく全力を尽くしている。

そして合間にブログを書いて、ライティングスキルを学び溜めています。家のために心と体をとても使っています。
自画自賛なのではなく、自分が一日、一週間に一体何をしているのかを客観的に見たら、すぐにわかることです。

なので、時々はバリスタの仕事をすごくやりたくなりつつも、退職したことは後悔していません。

 

お読みいただきありがとうございました。


こんな感じで今日は、私がスタバを辞めた理由を書いてみました。

でもこれからも仕事は続いていくし、何をしたとしても、自立に向かって進んでいくことに変わりはありません。

これを読んで下さった方にとって少しでも何か参考になれば幸いです。

ではまた。